




ご機嫌が一日のバロメーター
皆様、おはようございます。ごきげんはいかがでいらっしゃいますか。私、朝目覚めて仕事場に行くまでの自分のごきげんが1日のバロメーターになっているということを信じてやまない、山田桂子でございます。今日は皆様方にお会いできて本当に嬉しく思います。
この「表情美学」というのは、1973年あたりから私が両手にぶらさげ、背中に背負って北は北海道から南は九州まで、お話しを聞いていただくために歩いておりました。どういうものか、この関東の方ではあまりやらなかったようで、東京におきましてはお家の方で先生方あるいはスタッフの皆様方にお話ししたことを覚えておりますが、あとはほとんど他府県を歩いたという気がいたします。おそらく今日皆様方「表情美学」という名前、初めてお耳にお目にかかったのではないかという気がいたします。
私、先ほど「ごきげんいかがですか」という問いかけをいたしました。皆様方のごきげんというのは今日の私にとって大変影響があるのです。私といたしましては、ごく最近夜の講義がわりあい多くて、朝からの講義、しかも長時間というのは最近控えているのです。と申しますのは、ちょうど3日ほど前に朝目覚めましたら、この天井の片隅から「コキコキコキコキ」というかわいらしい音が聞こえるのです。二日目に気にしておりましたら「コキコキコキコキ」と今度ははっきり聞こえてきまして、三日目にいたりましたら「コキコキコキコキ」、私の「歳」だったのです。わかりますでしょうか。そんなことで、長時間のお話しはちょっと無理かなという気がするのですが、今日お集まりの皆様方のお顔次第で私の中から今までのいろいろなものがきっと出てくると思います。
そんなわけで、ちょっとしつこいようですが、ごきげんうかがいをしたいと思うのです。これは正直にお答えいただきたいと思います。今朝、ここにおいでになるまでになにかうれしい気持ち、ごきげんのいい気持ちだった方は手をお上げください。3人いらっしゃいますね。ひとつパワーを私にいただきたいと思います。
ではその逆、こんなにいいお天気の日曜日、なんでこんなことしなきゃいけないのかしら、なんていう理由もないのですがどうもあんまりごきげんがいいと思えない方は正直に手をあげてください。3人。3対3ですね。今日お帰りになる時に「よかったな」と思っていただけるように私がんばりたいと思います。
では手をお上げにならなかった方、イエスかノーの返事の、日本以外の国ではちょっとおいていかれてしまいますけれども、わかっております。どちらとも言えない、今日は山田佳子次第だという方もいらっしゃるかもしれませんので、どちらともいえない方はちょっと手をお上げください。どこにも手を上げなかった方はここでちょっと説明をしていただきます。よろしいでしょうか。ではどちらとも言えない方どうぞ。だいたい数があったようです。
大変冒頭からいやな質問で申し訳ありませんけれども、今日はどちらともいえない方が大半、そして3人の気分のいい方と、3人のどうもという方、これを、今日お帰りになる時に、この皆様方と私との空間を魅力あるものにしていきたいと、こんなふうに考えております。これは共同作業であります。どこまでいっても相互関係でありますので、私も皆様方に一生懸命お話をしますし、また皆様方は聞いていただくうちにごきげんがどんどん良くなっていくようにお願いしたいと思っております。
こうしてお話をすすめていく立場になりますと、だいたいこの世の中のアスペクト、いわゆる様相を、少し診断しなければいけないのが演者の務めなのです。
リアクティブからプロアクティブへ
最近歯科医師の問題が大きく問いただされました。中医協に賄賂を使ったとかいろいろです。患者さんたちはどのように思ったのだろうかと聞きますと、「まさか、歯医者さんが?」「いや、歯医者さんがそんなはずない。でもその辺の土建屋さんと同じことするんだね」というようにちょっと評価が落ちたようです。この不名誉を患者さんと接触する中で、なんとか回復しようというのが私の今日の狙いでもありますし、また今まで非常に萎縮的に物事が進んでまいりました。リアクティブというのでしょうか。リストラの問題、それから就職難であるとか、賃金がどんどん下がる、年金の問題、いろいろあって消極的になってしまっている各業界が、これからはリアクティブでなくプロアクティブに転じようという、そういった時代でもあると思うからです。
日本とアメリカの歯科事情
歯科医療のプロアクティブとはいったいなんでしょう。ちょうど私が19歳の頃でしたでしょうか。その頃ちょうど私、芸能界の端っこであるSMDSという学校におりました。その時に突然歯が痛み出しまして、みんなに「どこに歯医者さんいったらいいの?」と聞きましたところ、「今一番メジャーな歯医者さんに行くべきよ」というので、新橋の○○歯科医院へまいりました。
ちょうどこのくらい大きな待合室に患者さんがいっぱい待っていらっしゃいました。私の腰掛けた、長いすの隣りの患者さんが私の方にだんだんしなだれかかって「痛い〜」と言うのです。私はびっくりしました。こんなに大勢の患者さんをかかえた歯医者さん、すごいなあ。さすがに一番メジャーな歯医者さんだなというふうに思っておりました。
私は一時間、いや一時間半くらい待ったでしょうか。スリッパはべたべたした感じだし、それからその当時まだ雑誌がありませんでした。『家の光』なんて古い雑誌がおいてありました。それをみんなが読むものでふっくらふくらんでいるのです。名前を呼ばれて「皆川さん、どうぞ」というのでいきました。そしたらマスクをした先生がいきなり現れまして、私が寝かされると同時にジー、ジャーと、めちゃめちゃな雷がいきなり落ちたかのようなひどい目にあって、私はもう心臓が止まるようでした。
そして、そこから出るときにはきれいな受付さんが「またお痛みだったらどうぞご遠慮なくおいでください。お大事になさいませ」とにこにこ笑って言ってくださいました。私はその笑いがなんと皮肉な、このみじめな私に対してなんという笑顔を作るのだろうと思いながら、とぼとぼとその医院を後にしました。
私は、どんどん有楽町の方に歩いたようです。しばらくしますと、日比谷映画劇場だったでしょうか、そこに映画がかかっていました。私どもはその頃プロになるために、「映画は食べるように、飲むように見なさい」こういう嬉しい立場でしたので映画館に入りました。そこでは『ハリウッド玉手箱』という、洋画ファンにはおいしいおいしい映画がかかっており、私はそこに入りました。そしてまだ衝撃が残っている頬をおさえたような格好をして見ていたのですが、ちょうどボップ・ホープという当時とっても人気なボードビリアンが西部劇をやっているところでした。撮影所風景だったと思うのですが、そこでボップ・ホープがびゅんびゅん、こんなふうに2丁拳銃を腰におさめて、「みんな、これで撮影は終わりだよ」とこういうふうに言うのです。
テロップが流れました。「ドクターとデート」と書いてあるのです。「ああ、ボブはお医者さんが恋人なんだ」と思って私は興味津々で見ておりました。そうすると、彼のそのころトレードマークであったオースチンがあらわれて、それにホープは乗るとスーっとどんどん郊外の方に向かって走るのです。やがて1軒の小さな家にたどりつきました。そこのドアを開けますと、そこには男性が待っていました。「いやあ、ホープさん、元気かい」握手もしました。抱き合いました。「あ、知らなかったな、ホープさんはホモだったんだ」と思ったのです。
次の場面、私はびっくりしました。なんと歯科の診療台にボップ・ホープさんが横になってこちらをむいてにっと笑うじゃありませんか。ということは、これはいったい何なんだろう?何なんだろう?これが私の大変な疑問と夢のような話だったのです。
あの、百人も待っている待合室からジーのギャーの雷が落ちた私、みじめな私、べたべたなスリッパをぬいでしょぼしょぼ帰ってきた私。ところがこちらは「ドクターとデート」、なんと待っていたのはドクターで、そしてそこには診療台にのるにこにこしたボップ・ホープ…。これを見たとき、私は「こんなことってあっていいのかしら。もしこんなことがあれば私はどんなに幸せなんだろう」なんて思ったのです。
アポイントメントシステムとの出会い
そのころ私は今の、DDS山田と結婚するなんてまったく思っておりませんでした。ところが結婚・そして広島からいよいよ関東に開業する時点で、私は「ドクターとデート」の場面をだんぜん主張しました。「これって何?こんなのある?」そうしましたら主人が「アメリカでもうずっと一般化しているアポイントメントシステムというんだよ」「アポイントメントシステムってなんなの?」「患者さんの都合のいい時間、それからこちらの診療プランをたてたものとを付き合わせて、そして消毒をきちんとしてお待ちしている、そういうシステムなんだよ」。